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コクリコ坂観ました

 テルーが海(うみ)を演じているみたいで慣れるまで戸惑いました。ノダメがお江を演じているように見えるのと似ていなくもありません。上質な作品です。貴重な時間を使って映画館に足を運ぶ価値はあります。主人公たちの出生年設定からいくと東京五輪直前にはせいぜい中学生のハズなんだけど高校生になっているあたりも、これは突っ込んじゃいけないんだろうと思わさせるものがありました。そんなことどうでもいいんです。
 私は朝鮮戦争終結の年(1953)に生まれたので、彼らより最大で3歳年下です。60年安保は小学校低学年。6年生の男子がテレビのニュースで見たデモのまねをして5列に並び、「アンポ ハンタイ キシ タオセ」と言いながらジグザグに廊下を練り歩いていました。アンポ遊びは早速禁止されましたが。
 進学した市立中学校は武山という200m程度の山の登り口の小高い丘の上にあり、教室の窓からはいつも相模湾が見えました。悪い頭で無理をしてようやく進学した横高には梁山泊のようなクラブハウスと足の踏み場もない生徒会室があり、バンカラの片鱗のかけら位なら残っていました。たしか、この時代にウチの高校では学園紛争が真っ盛り。当時講堂のステージ上にあった保守イデオロギーの象徴たるスタインウェイがつき落とされ、「骨折多数」で演奏不能になったとのこと。(これは長年保存されていて、大金を投じて修理したものが今音楽講堂で普通に使われています)
 私の父も船乗りでしたから、自分の少年の頃と(カッコ悪かったんだけど)重なりあう部分がとても多くて、懐かしくて涙が出て来ました。父も言っていましたが、日本統治時代、朝鮮沿岸航路を操船して海岸地形を知り尽くしている日本人の船長や航海士や船員が、民間人なのに朝鮮戦争の軍務に徴用に近い形で使われ、中には上陸用舟艇を操船して上陸作戦に参加した日本人船員もいたというのです。「戦死者」も出ています。日本にとっても重い歴史ですが朝鮮の人々にとっては、両軍がぶつかり合う前線が半島を1往復半したので、最悪の場合3度も戦場になり、一般市民の犠牲と損害ははかり知れず、大変な惨禍だったことを忘れてはいけないでしょう。あ、この話を幼い私に(まるで大人に話すかのように)してくれた父は、私が小6の時、北大西洋上で船内事故のため殉職しました。遺体は現地の外人墓地に埋葬され、実際には見ていないためか、今でも土産をたくさん持って不意に帰って来るんじゃないかと思ったりするのです。父の生き方、母の考え方も、私の中に生き続けているのを、年をとって最近強く感じます。
 1年で一番暑い日に、よい作品を見ました。私も信号旗を揚げたくなりました。
 
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