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卒業式の午後だったんです

 退職までの僅かな期間には起こりえないと思いこんでいた大災害は卒業式の午後に起きました。同僚に片付けを頼んでビデオ撮影データをキャプチャーし、ただちにDVD化する作業に取りかかり、戻ってきた機材を迎えて倉庫整理を終え、遅い昼食を取っていると、巨大な振幅の横揺れを少なくとも3波感じました。いよいよその時が来たかと覚悟しました。

 私の勤務校は沖積部に隣接してはいますが、ギリギリで台地部分にあり、この地域としては最も堅固な地盤に建っています。純粋に水平方向の揺れでしたので、私はほぼ怖いとは思いませんでした。地元の有名な電波塔の最先端部の細い部分は、たとえは悪いんだけれど、まるで犬の尻尾のようにほぼ東西方向に激しく振れ、上から4分の1位のところで少し曲がってしまったようです。
 2011年3月11日を私は忘れません。
 亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈りします。合掌。

 卒業式を終えてすぐには帰宅しなかった3年生、名残を惜しんでいたり、片付けをしていたり、部活をしたりしていた在校生、合計約150人が校内で夜を明かしました。約80人の一般市民や他校の生徒も迎え入れました。
「避難広場」には早速簡易PAを張り、練達の生徒部長の声が隅々まで届くようにしました。
 深夜になっても、対外試合会場から帰宅できなかった生徒や帰宅途中でどこかに立ち寄って帰宅できなくなった卒業生も「再登校」してきました。一般の方も少しずつお見えになるので、正面玄関の受付は一晩中オープンにしていました。
 いっぺんに50食のアルファ化ができるキットをいくつか開封、ほとんど全部、私がアルファ化しました。腱鞘炎の右手が痛くなるほど頑張りました。夜更けには本当に冷え込みましたね。
 一番広いスペース一面の机椅子を片寄せにして、男子・女子別室にして休んでもらいました。なかなか眠れなかったようですが。

 今回も、常識判断のできるおとなしい生徒諸君で、私たちは本当に幸せでした。余震の中、食料も乏しく、着替えもない中で、何のトラブルも不安要素もなく、夜明けを迎えました。このような青年たちに育てた保護者の皆様をリスペクトします。彼らはやがて社会に出て、立派な勤労者、よき市民に成長するでしょう。
 交通の復旧をまって、保護者様と連絡がついている生徒から帰宅してもらい、帰宅ないしは保護者様と会えたことの確認連絡を待ち、午後には全員から連絡を得て、私たちは公務員としての任務を解除されたのでした。

 約240枚の採点が1枚もできていなかった私は夜まで帰れず採点しました。今日はようやく1日のオフを頂いて郊外の自宅にいます。ファイルが散乱しすごい状態になっていた鈴木の「教材工房」も約1時間の作業で復旧、自慢の最新鋭PCもサブPCも無事でした。

 あきらかに私たちは「被災者」ではありません。単に帰宅できない生徒と市民の皆様の一晩の安全確保のお手伝いをしただけですが、その実感からして、被災された方々のご苦労の大きさが想像できます。
 退職まで、もう1回はないだろうとは思いますが・・、今度は被災者だったりするかもしれません。

 これをお読みになっておられる皆様は、その瞬間をどのように迎えられたでしょうか。皆様、おけがはありませんでしたか。
 




 
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